報道関係

2012年(平成24年)8月18日(土曜日) 山陽新聞

発言台 生きている今が奇跡

飲酒運転の車との衝突事故で娘を亡くした江角由利子さん(64)
 娘の真理子=当時(20)=は、鳥取大学3年生だった1999年12月25日、倉敷チボリ公園(倉敷市寿町)にイルミネーションを友達と4人で見に行った帰り道、鳥取県智頭町の国道53号線でセンターラインを越えてきた飲酒運転の車に衝突され、命を奪われた。
 亡くなったのは3人。大庭三弥子さん=当時(21)=は公園の設計士に、大谷知子さん=同=は小学校の先生に、娘は英語を専攻し、ツアーコンダクターになりたいと思っていたのに…。
 娘の財布に当日の入園券が残っていた。午後8時47分に入場し、22時の閉園までの滞在は1時間くらいだった。4年になれば就職活動や卒論で忙しくなるので、大学生活最後のクリスマスと思って、合間を縫ってチボリ公園に行ったんだろう。
 だから、事故に遭ったのが翌日午前1時20分だった。亡くなった後、近所の人が「若い女の子があんな時間に外をうろうろしているから」と言っていたと間接的に聞いた。本人の名誉のため、なぜその時間の事故だったかを説明しようと講演依頼を受けるようになった。でも今はそれだけでなく、少しでも私のような人を減らしたいとの思いが強い。
 事故後は眠れない、食べられない。薬で悲しみや苦しみが消えないとは分かっているが、生きるために10年間飲み続けた。だが、娘が死んでから年賀状はまだ一度も書いていない。「おめでとう」とは書けない。
 加害者には、3人だけを殺したのではなく、3人の未来に続く多くの命を絶ったという事実を感じてほしい。娘が結婚して子どもを産み、何十、何百人という命が伝えられたかもしれないと考えると今でも苦しくて悔しい。
 皆さんも(理不尽に亡くなった人がいる事実や概要を知って)つながれてきた命、つないでいく命を感じてほしい。そして、その亡くなった命と自分の命は紙一重であり、いつあっちにいくか分からない状況にあることを意識してほしい。
 毎日のように事件・事故の報道がされているが「あちらの世界」ではない。今日、家族が事故に巻き込まれて電話がかかってくるかもしれない。そんな危うい命。元気に生きている今が当たり前でなく、奇跡なんです。
 最後に命が限られたある若い医師が詠んだ詩を紹介したい。
<こんなすばらしいことをみんなはなぜ喜ばないんでしょう。当たり前であること、お父さんがいる、お母さんがいる、手が2本あって、足が2本ある、行きたいところへ自分で歩いて行ける(中略)そのありがたさを知っているのは、それを無くした人たちだけ。なぜでしょう>
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7月26日、倉敷市南堀のアーバンホール倉敷南堀で開かれた「ミニ・生命(いのちの)メッセージ展 in 倉敷」での講演要旨。江角さんは島根県出雲市在住で、同展を主催したNPO法人・いのちのミュージアム(東京)のメンバー。
 

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