報道関係

2008年(平成20年)2月26日(火曜日) 朝日新聞
奪われた命 大切さ感じて/斐川で展示
亡くなった江角真理子さんの写真(中央のオブジェ)を見つめる母由利子さん

◆飲酒事故遺族らオブジェ/9月のメッセージ展に先立ち〜来月2月まで斐川で展示
 事故や事件で命を奪われた人の遺品を、人型のオブジェとともに展示する「生命(いのち)のメッセージ展」が9月、山陰地方では初めて出雲市で開かれる。斐川町立図書館(同町直江町)ではこれに先だって、県内の遺族らが4人のオブジェを来月2日まで展示。亡くした家族の古里での開催を目指す遺族に、思いを聴いた。(玉置太郎)
 町立図書館の中央にある読書コーナー。人の形をした約160センチのオブジェが3体並ぶ。そのうちの1体には、亡くなる2カ月前の99年秋、旅行先のロンドンでほほえむ江角真理子さん(当時20)=斐川町出身=の写真が張られていた。オブジェの足元には愛用していた黒いサンダル、頭に黒い帽子。「2000年を迎えることなく、夢もかなえることができず、救急車の中で家族の誰にもみとられず、亡くなりました」という遺族の言葉が添えられていた。

◇    ◇

 真理子さんは鳥取大在学中の99年12月26日、大学の友人3人と一緒に車で岡山に出かけた。その帰り、鳥取県内で、対向車線を越えて突っ込んできた飲酒運転の車と衝突。ともに21歳の友人2人とともに亡くなった。

亡くなった石川秀治さんの遺品=いずれも斐川町直江町の町立図書館で
 母親の由利子さん(59)ら遺族は2週間後、鳥取県警智頭署で遺品を受け取った。治療のために切り刻まれ、血のついた衣服、事故直前の写真が収められたカメラ、事故の前日までびっしりと書き込まれていた日記……。由利子さんは、真理子さんの名残を記憶にとどめようと、日記を読み続けた。

◆事件の遺族も参加/児童と母親、感想寄せる◆

 3カ月後、出雲市内の図書館で見つけた本が、悲しみに暮れていた遺族に転機をもたらした。

 自身も娘を飲酒運転事故で奪われた元新聞記者が、全国の事故遺族らに話を聴き、まとめた『遺された親たち』(あすなろ社)。自分と同じ境遇の親の思いが詰まった6巻すべてを一気に読んだ。巻末にあった「全国交通事故遺族の会」(事務所・東京)の連絡先に電話。会の活動に加わるようになった。

 全国の遺族とともに飲酒運転の厳罰化を訴える署名運動を始めた。江角さんらも01年初めごろから約10カ月間に県内を中心に知人をたどり、約3万人分を集めた。同年10月には、全国約37万人の署名を法務大臣に直接手渡した。翌月、刑法の一部が改正され、最高刑を15年とする「危険運転致死傷罪」が新設された。

 そんななか、神奈川県在住の造形作家、鈴木共子さん(58)がメッセージ展を企画していることを知った。飲酒、無免許運転の暴走車に当時19歳の一人息子を奪われた鈴木さんの思いに共感。鳥取の事故で亡くなった3人のオブジェがそろって、浜松市での第2回から展示された。

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 県内でも被害者遺族の輪が広がった。浜田市の石川俊子さん(38)の夫秀治さん(当時36)は05年7月、近所の男に包丁で刺され、亡くなった。石川さんは06年11月、由利子さんが遺族の思いをテーマに松江署で講演した際、会場を訪れ、知り合った。石川さんは昨年7月の大阪会場から、メッセージ展に参加している。

 町立図書館でも、消防士だった秀治さんの顔写真を掲げ、亡くなる前日まで現場で使っていたブーツとヘルメットを置いた。石川さんは「主人は命の大切さを伝えられる新たな役目を持ったと思う。元々人の役に立ちたいと思って、消防士をやっていた人だから」と話した。

 9月の出雲での開催は、江角さんや石川さんら遺族が中心になり、全国の遺族の講演や、鈴木さんの活動を映画化した「0からの風」の上映も企画。真理子さんとともに事故で亡くなった大谷知子さんの母浩子さん(52)=斐川町=は「亡くなった子どもがメッセージ展という形でいつか帰って来られたらいいなあ、とずっと思っていました。知子もきっと喜んでいるはず」と話す。

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 斐川町から小学校の支援員を委嘱されている由利子さん。展示が始まって数日後、勤務している町内の小学校の児童とその母親が会場を訪れた。その翌日、担任の教諭に提出された連絡帳には「『人が亡くなると、残された人もかわいそう。なくなっていい命はないんだね』と親子で話しました」と、感想が書かれていた。26日には、出雲市立神西小学校5年の児童が道徳の授業の一環で、会場を訪れる。

 由利子さんは「真理子は亡くなったけど、生命があった事実は消えない。娘の生きてきた歴史や遺品に触れてくれた人に何かを感じ取ってもらえたら、うれしい」と語った。
 
 

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