報道関係

2011年(平成23年)11月21日(月曜日) 朝日新聞
奪われた命の声 届け

会場には、被害者の等身大パネル「メッセンジャー」や靴が並ぶ=鳥取市尚徳町のとりぎん文化会館
◆鳥取で「メッセージ展」

 犯罪や事故などで突然命を奪われた被害者のメッセージを通じて命の大切さを訴える「生命(いのち)のメッセージ展in鳥取」が、とりぎん文化会館(鳥取市尚徳町)で20日まで開かれている。

 
被害者の等身大のパネル「メッセンジャー」146体が並び、写真の下に亡くなった経緯や遺族の思いがつづられ、被害者の靴も展示されている。遺族らでつくるNPO法人「いのちのミュージアム」(東京都日野市)が2001年から全国で開き、県内では初。

 娘とともに会場を18日に訪れた鳥取市滝山、パート松尾陽子さん(49)は涙を拭いながら被害者一人ひとりに向き合った。「せっかく生まれてきたのだから、人生を全うしたかったでしょう。行ってきますと出ていった家族が帰らなかったら……。いたたまれないです」と話した。(中崎太郎)

◆「生活支援、充実を」長男失った浜田県議

 「メッセンジャー」の一人は、県議の浜田妙子さん(66)=米子市=の長男拓郎さん(当時18)。大阪府内の大学1年だった拓郎さんは1991年、所属していた自動車部の部員と府内で多重追突事故に遭った。後部座席にいて、後ろから来たタンクローリーに巻き込まれて亡くなった。

亡くなった浜田拓郎さん
 当時、放送局アナウンサーだった浜田さんは連絡を受けてすぐ大阪の病院へ。「最期は、親の手できれいにしてあげたかった」。自宅に連れて帰り「ごめんね、ごめんね」と言って全身をなでた。

 周囲から慰めの声を受けた。「親の務めだ」と、つらくても事故の様子を何度も話した。数カ月後、拓郎さんのために涙を流していないことに気付いた。「泣くことより、周りの対応に必死になっていた」

 当時は遺族が相談できる機関がなく、事故の民事訴訟の弁護士も自力で探した。裁判期日が近づくたび食欲がなくなり、買い物にも出られない状態だった。

 2008年に「とっとり被害者支援センター」ができ、被害者や遺族の支援にあたる。浜田さんは「生活全般の幅広い支援が必要。支援のあり方はまだ発展途上で、これから充実してほしい」と願う。

◆「お礼言いたかった」12年前の事故の遺族、目撃者と対面

 智頭町で12年前にあった大学生3人の死亡事故。現場に居合わせ、助けられなかった後悔から毎日のように現場に通うバス運転手の芦田正博さん(46)=智頭町=が19日、メッセージ展の会場で3人の遺族に初めて会い、事故当時の話や、今の現場の様子を伝えた。

3人のパネルを前に、遺族に事故当時の様子を話す芦田正博さん(中央)=鳥取市尚徳町のとりぎん文化会館
 事故は1999年12月26日、国道53号のトンネルで飲酒運転の乗用車が対向車線にはみ出し、鳥取大3年の女性4人が乗った軽乗用車と衝突。大庭三弥子さん(当時21)、大谷知子さん(同)、江角真理子さん(当時20)が亡くなった。

 芦田さんは軽乗用車の数台後ろで事故を目撃。車内に「しっかりしろ」と声をかけ続けることしかできず「1人だけでも助かって」と祈った。報道で3人死亡と知り「なぜ、1人だけと祈ったのか。自分の家族なら全員助かってくれと願ったはず」と悔いた。それから12年、花を供え続ける。

 遺族の江角由利子さん(63)=島根県出雲市斐川町=は13回忌の今年、現場に供えたぬいぐるみや花を撤去しようと思い、最後にお礼が言いたいと芦田さんをメッセージ展に誘った。

 会場は、亡くなった真理子さんが入学式に臨んだ場所だ。これまでも他県でメッセージ展はしていたが「思い入れが全然違う」。準備のため鳥取へ向かう前、大声をあげて泣いた。

 由利子さんは17日、現場に行った。芦田さんが供えたパンジーが咲いていた。「気持ちの折り合いがつくまで、(花などを)もう少し現場に置いておきたい」

 芦田さんも「自分の中で(現場に行くことを)やめる踏ん切りがまだつかない」と同じ思いだった。由利子さんは「あと何年かかるかわからない。ただ、ここで事故があったことを忘れて欲しくないから」と話した。(西村圭史)
 

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