報道関係

2007年(平成19年)12月26日(水曜日) 日本海新聞
 智頭町の国道53号トンネル内で、飲酒運転の乗用車に正面衝突され、軽乗用車の鳥取大学の女子学生3人が死亡した事故から26日で8年。「何でうちの娘が…」「生きていれば、結婚して子どもが1人くらいいただろうに」。遺族らは癒えない心の痛みに
耐えながらも、家族を理不尽に奪われた全国の仲間と「生命のメッセージ展」を展開。来年9月には、亡くなった3人のうち2人が高校時代を過ごした出雲市で、山陰では初めての同展を開く。
(松江支社・酒井健治)

止まった時間
 亡くなったのは大庭三弥子さん=当時(21)、福岡県前原市出身=、江角真理子さん=同(20)、島根県斐川町出身=、大谷知子さん=同(21)、同=。大庭さんは公園の設計、江角さんは得意の英語を生かせる仕事、大谷さんは小学校教員をそれぞれ目指していた。
 「鳥取市内の病院に着くと、手を合わせてベッドに寝かされ、割ときれいなままの姿で…。一番辛い場面でした。八年の歳月が流れても、娘と私の時計は止まっているように思います」。大谷さんの母親・浩子さん(51)は振り返る。
 江角さんの母親・由利子さん(59)は「みんな、みんな、一生懸命に生きていました。あの日、私が勤めた図書館の司書教諭の免許を取るための集中講義を受けていなければ、出発は早く、あんな飲酒運転の車には出会わなかったのに」と今も自分を責めてしまうという。

 悪質な事故にもかかわらず、加害者の男性=当時(四七)=に言い渡された判決は懲役三年。由利子さんらは他の事故の遺族らと協力して悪質運転事故の厳罰化を求める署名運動を展開し、最高刑を大幅に引き上げる危険運転致死傷罪が新設された。
事故に遭う4時間ほど前に倉敷市のチボリ公園で写した3人の最後の写真。左から大谷さん、大庭さん、江角さん(遺族提供)
命引き継いで
 三人の遺族はさらに大学生の息子を飲酒、無免許の暴走車に奪われた造形作家の鈴木共子さん (神奈川県)が始めた「生命のメッセージ展」に共鳴し、毎回、亡くなった三人のオブジェを一緒に出展。等身大の真っ白なオブジェに写真とメッセージを貼り、生きていた証しとして、愛用していた靴を展示する。
 由利子さんや浩子さんは来年九月十二日から十四日まで三日間、出雲市内でメッセージ展を開く。
 「今はもう会うことも、笑顔を見ることも、声を聞くこともできないこど、オブジェを通して娘の命が引き継がれる気がします」と浩子さん。娘の知子さんのオブジェには、鳥取市内の小学校で教育実習を終えた時、五年生の子どもたちから贈られた色紙の寄せ書きのコピーが張られている。「先生はいつも明るく、とても気が休まるようでした。私のこと忘れないでね」
 由利子さんは「加害者は服役を終えましたが、本当に反省しているのならメッセージ展に来てほしい」と話す。
 亡くなった大庭さんの父親・茂彌さん(六〇)は今年十月、大庭さんの母校の前原小学校でメッセージ展を開いた。前原市内の全小学校児童四千五百人に鶴を折ってもらい、羽と羽を留めて手をつなぐ形に表現。各校で命をテーマに発表したり、子どもたちが同展の感想を寄せるなど、予想以上の反響があったという。
 茂彌さんは「特に、子どもたちに命の大切さを体感してもらいたい」と出雲展にエールを送る。

鳥大生3人死亡事故
 1999年12月26日午前1時20分ごろ、智頭町市瀬の国道53号、地図トンネル内で、鳥取方面から来た男性の乗用車がセンターラインを超えて軽乗用車に衝突。軽乗用車に乗っていた鳥大フォークソングサークルの女子学生4人のうち3人が死亡。もう1人と男性も大けがをした。男性は飲酒運転だった。女子学生らは前日夕、大学の集中講義が終わった後、岡山県倉敷市のチボリ公園にイルミネーションツリーを見に出かけ、帰宅途中だった。
 


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