報道関係

2007年(平成19年)11月14日(水曜日) 毎日新聞
飲酒事故犠牲者の遺族 命つなぐメッセージ展
生きた証を人々に
飲酒運転の犠牲になった、(左から)大谷さん、大庭さん、江角さん。これがこれが最後の写真となった。=岡山県倉敷市で1999年12月25日(遺族提供)
松江支局 小坂剛志 ───────────
 飲酒運転が昨今ほど厳しく問われていなかった8年前のクリスマスの夜、鳥取市内で3人の女子大生が飲酒運転の男の車に衝突される事故で、命を落とした。それから8年------。娘たちを失った3遺族は、飲酒事故や犯罪で命を奪われた人たちの遺品を展示する「生命のメッセージ展」を通して、支え合っていた。この秋、3遺族を訪ね歩いた。

 福岡県前原市で10月6日から開催された「生命のメッセージ展 in まえばる」。会場には犠牲者127人の等身大のオブジェなどが展示された。企画したのは、同市在住で事故の犠牲になった女子大生の一人、大庭三弥子さん(当時21歳)の父茂彌さん(60)だ。大庭さんを動かしたのは、後を絶たない飲酒事故に「娘の死を無駄にしたくない」という強い思いだった。
 娘たちが事故に遭ったのは99年12月26日未明で、クリスマスの夜に倉敷チボリ公園(岡山県)へイルミネーションツリーを見に行った帰り道。鳥取県の国道53号で、対向の乗用車に衝突され、軽乗用車に乗っていた三弥子さん、江角真理子さん(当時20歳)、大谷知子さん(同21歳)の鳥取大生3人が亡くなった。相手の男は飲酒運転だった。
 車を運転していたのが三弥子さんだったことを知り、大庭さんは責任を感じた。だが、次女を失った江角由利子さん(59)=島根県斐川町=らから「負担に思うことはない。同じ事故で、子を亡くした親の思いは、みんな同じだよ。」と言われ、救われた気持ちになった。それから、3遺族は寄り添いながらつながっていった。大庭さんは毎年、島根県に足を運び、一緒に亡くなった2人の墓に参っている。
 01年7月、静岡県浜松市で開かれた「メッセージ展」に、大庭さんは江角さんに誘われて初めて参加した。「こういうことができるのか」と衝撃を受けた。
 「大学院に進み、公園設計をしたい」という夢を描いていた三弥子さん。「地元の福岡で娘たちのメッセージを届けたい」という思いが募っていた昨年8月、福岡県内で一家5人の乗った車が飲酒運転の車に追突され、幼児3人が死亡する事故が起きた。やるせない事故はさらに大庭さんを突き動かし、福岡で初の開催を実現させた。
飲酒事故の遺族が娘の小学校で開催した「生命のメッセージ展」=福岡県前原市で10月7日
●生命のメッセージ展=飲酒運転事故や殺人事件などの被害者と等身大のオブジェに、生前の写真や遺族からのメッセージを張り付けたものを、遺品の靴などと並べて展示する。飲酒運転事故で一人息子を亡くした造形作家の鈴木共子さん=神奈川県座間市=が発案。01年、東京駅八重洲口広場から始まり、全国約40カ所で開催されている。

 会場となった前原小は、三弥子さんの母校。その体育館の天井には、市内の小学生が「命」になぞらえて作った折り鶴が飾られた。ピンク、ブルー、オレンジ……。娘はこの折り鶴のように、どこかを飛んでいるんじゃないか。そんな思いが今もよぎる。

 次女真理子さんを失った江角さんは来秋に「メッセージ展」を島根で開催しようと企画している。
 「私のような思いをする人が一人でも減ってほしい」という思いから、飲酒運転厳罰化を求める署名集めや交通安全の講演を行うなど積極的な活動をして来た。署名集めの時、「メッセージ展」発案者の鈴木共子さんと出会い、2遺族を誘って参加し始めた。
 初めて同展に参加した01年7月。等身大のオブジェに、まるで真理子さんが生き返ったような感情がわいた。
 自身の開催予定地の同県出雲市は、真理子さんが高校3年間を過ごした場所。「娘を故郷に帰ってこさせてやりたい」という思いがあった。天国で娘に「出雲でメッセージ展をやったよ」と報告してやりたい。「よくやったね」真理子さんがほほえんでくれるような気がしている。

 大谷知子さん(51)=島根県斐川町=は、ずっと「生命のメッセージ展」会場から足が遠のいていた。初めて訪れた02年2月。娘たちのオブジェを前に、涙が止まらずつらさが増した。
 「何でこんなことになったんだろう」。事故後は泣いてばかりだったが、昨年、大庭さんがメッセージ展を開くことを聞いた。江角さんからも「大谷さんと一緒にやりたい」と呼びかけられ、自分の回復を待っていてくれた。「今ならがんばれるかもしれない」。大谷さんは、江角さんの企画する同展実行委のメンバーに加わることを決めた。
 大谷さんは1本のビデオを宝物にしている。小学校教師を目指していた知子さんが教育実習で、小学生と一緒に考え、楽しみながら指導をする姿を映していた。「恥ずかしがり屋だけど、一生懸命で手抜きのない子だった」。人前で講演したりすることは自分にはできないが、伝えなければいけないことがある。つなげることができなかった命を知ってほしい。「知子を見習って、がんばるっきゃないわね」。大谷さんは小さくつぶやいた。

 私は、娘への思いをつむぎながら歩む3人を取材して、遺族の心の傷はいつまでも癒えるものではないと感じた。しかし、私も彼女たちの「生きた証し」を、遺族たちと共有することができた。一人でも多くの人が「メッセージ展」会場を訪れ、オブジェとなった人たちのメッセージを受け取ってもらいたいと思う。次回の「生命のメッセージ展」は今月16日から、滋賀県近江八幡市で開かれる。

 
 


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